今回の登場は河村英知さんより推薦があった宇原浩一さん。
なんでも河村さん「黒帯昇格の勢いで宇原さんに二度挑んだ」ものの2連敗を喫したという。そんな”黒帯の厚い壁”へのリスペクトと想いがあるとのこと。
宇原さんは奈良市で「NR柔術」を主催されている。2020年現在でブラジリアン柔術のマスター5カテゴリ(51〜55歳)でありながら年齢カテゴリー関係なく試合に出場されている傍では、柔術の様々なイベントやJBJJFレフリーへの参画など精力的に活動されている。
JBJJFの2019年ランキングでは「男子マスター3~6黒帯」の年間2位にランクインもされた。強くてちょっとダンディ、そんな宇原さんにお話を伺った。
インタビュー
宇原さんは奈良で道場「NR柔術」を主催されていますが、このコロナの状況で柔術ライフはどの様に変化しましたか?
今まで当たり前に道場に通っていて柔術をするのが自然なことだったのですが急にそれが出来なくなって信じられない気持ちです。まさかこんなことになるとは想像もつかなくてどうしていいのかわからず今は只々世間の様子を見ながらコロナが去るのを願う日々が続いています。
できることをやっていけばいいと分かってはいますが何が正解で何が間違いかもわからずなかなか動けないのが現状です。心にポッカリ穴が空いたようです。
ブラジリアン柔術を始められたきっかけを教えてください。
格闘技歴の最初は小学生2年から6年まで柔道をやってました。その時はとても弱く親から強制的にやらされていたので格闘技がそんなに好きではなく、生活の習慣みたいな感じでした。中学校に進むと柔道部が無かったのでそこで一旦格闘技から離れました。
高校を卒業してから社会人になって柔道をやっていた方と付き合いがあり、自分も小学生の時はやってたということでまたやりはじめました。
その当時は大阪城の修道館に練習に行ったり、東大阪の武道場でやっている柔道クラブで練習していました。以外と小学生の時の柔道の技を忘れておらず、すぐに初段も取れました。その時初めて「小学生の頃柔道に通わせてくれててありがたい」と思いました。
それから24歳の時に大阪を離れてゴルフの研修生になったので、また格闘技からも離れました。
いろいろあって30歳くらいの時にゴルフを諦めて大阪に帰ってきて結婚し身の回りが落ち着いてきた時に、何か運動をしたいと思いまた八尾の柔道クラブで柔道をはじめました。
そしてそこで知り合った吉永(博之)さんに、大阪に柔術のジムができるとの事で出稽古に誘っていただいて通い始めたのが、中山タクミ先生のパラエストラ大阪でした。そしてしばらくして自分もパラエストラ大阪に入会し、本格的に柔術をはじめました。35歳の時です。
そして今に至ります。
宇原さんはNR柔術(奈良市)の代表をされておられますが、道場を開かれた経緯を教えてください。
柔術をやっていて、格闘技としてただ強くなるだけではなく、年齢や性別や社会的地位を超えた柔術の交流の素晴らしさをタクミ先生から学びました。
その素晴らしい柔術をもっと広めていきたいという思いで、まだ柔術が浸透しておらず自分の田舎でもある奈良県に道場を出そうと思いました。
今奈良でNR柔術をやれているのは柔術と出合わせてくれた吉永さん、そして柔術の素晴らしさを教えていただき、自分のわがままを聞いてくださったタクミ先生のおかげです。そのお二人には感謝しかありません。
年齢カテゴリー「マスター5」でありながら遥かに若い強選手たちとも試合をし勝ち負けされてますが、何が宇原さんを突き動かしているのでしょうか?
ただ単純に柔術が好きで試合が楽しいからなんです!
もちろん負けたら嫌です。負けるのが怖いです。
でも勝った時はうれしい。
20回負けても、1回勝てれば20回の負けは忘れてしまえます。
自分は試合で一本勝ちした時の何とも言えない感覚が麻薬のように感じてるのかもしれません。
ちょっとおかしいですかね?
でもそれがこんな歳になっても味わえる柔術って素晴らしいって思います。皆さんにもこの感覚を味わって欲しいって本気で思ってます。
私の柔術は格闘技のプロの選手と違って負けてもチャラなんです。
なので試合に出ることは得しかありません。負けたらチャラ、勝てばあの感覚が味わえるのですから!
しかも柔術は自分に合った技と合理的な練習のやり方で若い選手とも闘えると思います。こんな格闘技は柔術しかないですよね!
柔術最高です!
宇原さんと言えば「ウパイダーガード」と呼ばれるラッソーガードで有名です。いつ頃から使い始め、どのように磨いてこられたのでしょうか?
柔術をやり始めてすぐに、寝技には上と下があることを学びました。
柔道時代は上しかなかったので、下になった時どうするかがすぐに課題になりました。体も固かったので柔らかいガードができませんでした。
そこで中井先生のバイタル柔術を見ていていきスパイダーガードを見つけました。これなら足の効かない自分でもできそうだ、と思いやりはじめたのがきっかけです。まだ白帯で柔術やりはじめてすぐの時です。
当時から柔術の技はいろいろありましたが、私の考え方は多くの技より強力な一つの技を磨くのが一番いいと思っていました。それは今も変わりません。
なので上と下で一つづつ同じ技をやり続けました。もちろん他のテクニックも学びます。でもそれはいつも自分の技とどう繋ぐかで考えてました。
あと組み手にもこだわってました。持ったら離さないよう心がけてました。そして元々指が細かったので今では曲がってしまい、まあまあ珍しがられています。
ただ入会に来る方などには「柔術をしたら皆さんがこうはなりませんよ、私くらいです」と強く説明してます。でないと柔術が誤解されちゃいますもんね!
今までに印象に残っている試合があればお教え下さい。
まず2012年のパウロ・ミヤオ選手との闘いですね。ミヤオ選手は当時茶帯になりたてですが超有名選手でほんとに強かったです。みんなが簡単にやられていく中、負けはしたものの自分ではまあまあ頑張れたのでよく覚えてます。
同じく2012年のプロ柔術MATSURI第4戦での善本秀文選手です。善本選手はこの前に試合したことがあって負けてました。リベンジをこの大舞台で一本勝ちで、しかもMVPをいただいた自分の柔術人生の中でも一番の良い思い出です。
2017年の四国選手権では、アダルトで出場して吉岡崇人選手と闘いました。これまた思ったより動けて、スイープされてからラッソーでスイープしたりして結局アドバン差で負けたのですが、超有名選手なので忘れられない一戦です。
今注目されている若手選手はいらっしゃいますか?
IBJJFアジア選手権で優勝したジエゴ・エンリケ選手です。
橋本知之選手との試合を見てみたいです!
合同練習会の発起人や「プロ柔術MATSUI」への出場など、関西柔術界の中心の一人として活躍されていますが、宇原さんから見て関西の柔術界はいかがでしょうか?
私は柔術を通じてアメリカ、関東、中部、四国、九州と行きました。NR柔術にもたまにですが世界中から出稽古にいらっしゃいます。
私が今まで柔術を通じて交流してきた方々は、関西や関東、地域にかかわらず日本全国で、いや全世界で柔術好きな人はみんな友達!みたいな感じがします。自分が運がいいだけなのかはわからないですが、どこに行ってもすごく良い方ばかりで嫌な思いはしたことがありません。
「柔術で充実練習会」もたまたま私が関西にいるから関西で行われているだけで、どこにいてもやっていたと思います。
今の道場も含め所属のジムでは、たまに変な人がいてもまあまあすぐに消えていきますし、柔術を続けてやっておられる方は良い方ばかりですね。それがブラジリアン柔術の良い所で大好きな所でもあります。
ただ「プロ柔術MATSURI」は関西独特な気がします。関西の柔術家たちはみんなこれを楽しみにしてますし、出場したいと思っていると思います。
関西で柔術をやっていて良かったと思える自慢のイベントですね。
最後に宇原さんにとって格闘技とは何でしょうか?
社会や家庭での複雑な人間関係の中で、年齢や性別、社会的地位など関係なく平等に仲間として交流できるブラジリアン柔術は、社会のオアシスだと思います。柔術をする場所は、社会の嫌なことやストレスを忘れてリフレッシュ出来る秘密基地なんです。
闘いたいというのは人間の本能の中にあると思います。その本能を安全で健全に満たしてくれるのが格闘技のジムです。
私も、社会で頑張っている方々に試合で勝って手を挙げてもらう瞬間を味わってもらいたいと思っています。
それはまさに「柔術で充実」なんです!
NR柔術はそんな場所になればと思います。
インタビュー後記
まず伝わったのは圧倒的な「柔術愛」だった。そして勝つことへの喜びと執着。今までにブラジリアン柔術に魅入られ虜になって来た方々とお会いしてきたが、宇原さんもまたその一人であろう。
この記事を読まれた方にも、実生活において柔術がオアシスとなり生活に張りが生まれることに同感される方は多いのではないだろうか。そして宇原さんは、それを伝道する為にご自身の道場を主催されている。
奈良の地にNR柔術と宇原浩一あり!
宇原さんのご協力に深く感謝します。